昔のような視点で見られなくなったのは淋しい
現在私の住んでいる東京都江戸川区では関東一高が出ています。そのために商店街では朝日新聞の関東一高ののぼり旗が沢山はためいている。私には地元の出場校にもかかわらずあまり感動を呼ばないでいます。それより郷里・高知の学校に関心が向くのは不思議です。
高校野球がプロ野球への登竜門としての役割が大きくなるにつけ、純真さが失われ、セミプロ化していく様子が垣間見え興味がそがれていきます。学校側は自分達の学校経営の格好の宣伝の場としてこの舞台を利用します。出場校の多くが大学の付属校を名乗り、宗教団体などもこの戦列に参加しています。こんな高校野球はもう昔の今のイメージで語ることはできません。
昔の話をしましょう。私の郷里の「土佐高校」は私立の名門進学校でした。こんな勉学とスポーツが両立するような学校が甲子園を沸かしたものです。「全力疾走」をして全国のフアンから好感を持たれたものです。徳島の池田高校も有名な話があります。この町から定員ぎりぎりの11人が出場し、全国にその活躍ぶりが話題になりました。小さな町の公立高校の活躍が話題だったのです。
こんな成功物語は消えました。それは大きな金を掛け、事業として高校野球が登場したから、こんな規模の小さい昔話は当然消滅する運命だったのです。
今は郷里では明徳義塾高校が常連校となっています。私立でスポーツを学校の売り物にした学校です。全寮制で全国からいい生徒が集まります。強くなればなるほど学生が集まります。学校もこれぞと言う人をスカウトして活用します。朝青龍もこうしたスカウトでこの学校を出ています。朝青龍明徳の明徳はこの明徳義塾を意味します。
この学校は私の町須崎市にあります。けれどこんなにマスコミ化した学校には興味がわきません。みんながこの仕掛けに乗せられているだけで面白くありません。そんなかげりが甲子園の観客動員にも見受けられます。YVで見ていると観客席はがらがらです。関係者だけの祭典となったようです。これではますます寂れていくことでしょう。


