2009年01月04日

男と女のかかわりについて考える 9

 
若者、特に高校生あたりの男女関係


 私の中学生から高校生にかけては湧き出るような男の性欲がありました。しかしこれを異性に向けてエネルギーを出して行く場はなかった。今考えればあの頃は性欲を吐かす場などはなかったので、気がついてみれば無我夢中であの時代を大きくなっていった気がします。抑えていたためだけではなく、人生で一番湧き出る性欲があったのではないか、その辺のことを簡単に断定は出来ないが、かなり強い性欲があったといえる。

 

 私は自分ひとりでこの性欲をオナニーという形で処理していたのだが、朝に晩にこの欲望の処理をしなくてはならず、今思えば随分と厄介な男性の生理ではないかと言う気がします。多くの男が同じような経験があるものの、程度の差がみられるはずです。私は参加しなかったが、特に不良仲間でもない仲良しの子供たちが集まって、射精で何処まで飛ばしたか競争したという話を聞いた事があります。これほど元気な時代です。

 

 こんな性欲旺盛な時代であった私の中学生の終わりころですが、社会風潮は女性には処女が求められ、女性は簡単に男性と話をすることもなく、男性の性欲の対象となる時代ではなかった。けれど私はこんな田舎の町の風潮に抗してか、高校3年生の頃にはもう女性のパートナーを得ていて、両方の親に分かるような形で付き合いをしておりました。

 

私は異性との関係はこんな生き様でしたが,多くの同級生はまだパートナーを持てるような時代では有りませんでした。ここで今の若者の姿を私の街の公園や河川で見聞する機会があります。随分と変わったものだという気がしております。私たちの時代は恋人のようなパートナーがいても,なかなか結び合うよう場面がなかったものです。

 

ところが今の子供たちは人が通るようなところで気分が乗れば、いわゆる本番というものをはじめている。もっと人目のつかないところでしたらどうかなと、と古い時代の者のはこんなに感じでいます。何処の国でも似たり寄ったりな現象があるはずだが、どうもこんな点で日本が一番進んでいる?そんな気がします。欧米での愛の抱擁が日本ではすぐ本番が始まるという風に映ります。

 

 こんな現象をどう見るのか、より動物に近づいたというべきか、社会の規範が崩れたとみるべきか、私は判断に苦しみます。まだ中学生か高校生のお金がなく、エネルギーがほとばしるだけの子供たちがこんな姿を露呈しています。古い体質が破られるという意味なら歓迎ですが、何でもいいというような無政府的に流れてはどうかという気もします。

 

 こんな現象をこんな子供を持つ親や祖父母は、ここまで開放的になった子供たちをどう見ているのだろうか。今まであまり表から論議されなく過ごしてきたこの問題も、そろそろオープンな形で真正面から取り組んで、人類としてどうすれば幸せな人生を送れるのか、そういう問題として捉えるべきときがきている気がします。むしろ学校の成績云々より、人生の上では大事な事だと思っています。

 

 男女が仲良く暮らすという問題は、食べられない、戦争巻き込まれるという大きな問題の影に隠れてきた問題で、しかしこれは非常に大事な問題だと思います。平和な時代はこんな問題が登場していい時代と思っています。しかし我々がいい時代を歩んでいると思っていたこのアメリカ型社会は、働くものの地位がだんだん低落して、安定した生活が出来なくなってきています。

 

 経営者や投資した側の利益重視が行き届き、多くの働く者の生活が安心して結婚できない時代がきております。この働く人がもっと恵まれるような社会がきてこそ、本当の意味のいい男女関係が構築されるのかなという気もします。私たちにとって生きていてよかったと思える異性関係を構築し、それを保障させるためにも、いろいろな改善がなされる必要があると痛感します。この二つのことが満たされてこそ、人の幸せは確保できると考えています。

 

posted by やまいしらず at 01:34| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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